私は、群馬大学医学部を卒業後、18年間の附属病院などの勤務を終えて郷里の沖縄に戻りました。在学中は、群馬の牧水街道をバイクや車で走ったことを懐かしく思い出します(笑)
さて沖縄に戻り、私は「自分が受けたい医療介護システム」をつくりたいと思いました。そのために、「その地域に住む人々が何を求めているのか?」そして、医療や介護を必要とする方々が生活する場として「地域がどうあると快適になるのか?」を考えていました。
そういうなかで、地域のなかに、医療と介護(福祉)を含めたシステムを作ってみるとよいのではないかと考えました。それが、陽心会の基本テーマでもある、住み慣れた街や住み慣れた自分の家に医療と介護を持ち込む「自宅の病床化」の始まりです。
私の地元の那覇市大道地区の街の特徴をよく観察することからはじめました。そうすると、栄町市場を中心に住宅街が周辺に広がっていることがわかります。栄町市場に出入りしているのはほとんど高齢者でした。その高齢者が医療や介護を必要とする状況になったとき、どうして慢性疾患病棟に入院し生活を変えなければいけないのか?それは本当に快適で幸せなことなのか?疑問に思いました。
医療も、そして介護こそまさにそうですが、「人」に関係することであり、人は「衣?食?住」を1つの街のなかで営みます。そのため、医療も介護も街の構成要素の1つとして組み込む必要があり、そういう観点から、栄町市場の正面に病院を建て、医療?介護を必要とする方々の住宅となる施設をその周辺に整備していきました。このようにしたのが1990年頃です。私がイメージしている「街なかで生活することがリハビリともなる」こととも合致もしてきました。
「街全体がリハビリの場」、私はこれを「生活リハビリ」としていますが、高齢者の方々にも生活の基本である「働く」ことを前提にして、地域の経済活動に参加してもらい、働くことに喜びや生きがいを見出し、それが地域の活性化につながるのではないかと思っています。この構想は経済産業省の助成金?医療介護周辺サービス創出調査事業「地域の中高年の若返りと街の活性化プロジェクト」の採択につながりました。
しかし多くの予算が注入されるから、人が楽しみ、地域が活性化するのではないと思います。一時的にはそうかもしれませんが持続はしないでしょう。大事なことは、その地域に住んでいる人を中心に考え、住んでいる人が幸せで、快適な環境にすることです。
「医療的?介護的」に考えられた街づくりは、自分で作ってみると、自分が一番面白いと感じます。プラモデルをつくるのと同じで、自分で計画し、作ってみて、それがうまく形作れたらうれしい。失敗することもあるかもしれませんが、失敗すれば、何度も組み立て直せばよいでしょう。失敗を避けたり、後回しにせず、「こうかな?それともこうかな?」と楽しみながら、自分がイメージするものを形作ってみるとよいですね。